‘闘病日記NO.9’ カテゴリー
闘病日記NO.9
リマはほとんど雨が降らないので空気は乾燥し、上空からは砂で街全体が赤茶色に見えます。
海岸沿いを走ると砂漠地帯、土のがけの上に家が立ち、地震でも来たら大変なことになると思った。
リマでは、タクシーにもよく乗ったが、どの車も年式が古く、私達が乗ったタクシーは全てフロントガラスがひび割れし、クラッチは滑り、デコボコ、紙でタクシーと書いて貼ってあるだけ、なかには取っ手などが外れ中から閉められない車もありました。
(ちなみに、Oさんドアを閉めるとき、取っ手が外れびっくりしていた)。
運転手さん、Oさんに向かってノープロブレム(問題無い)。
Bさんも、助手席のドアを閉めようとしたが、 ドアが下がって閉まらない、運転手さん、Bさんに向かって、持ち上げながら閉めてくれ。
(ヨイショ、やっと閉まった)。
信号なども少なく、交差点などは先に行ったもん勝ちという感じです。
(時には、ジャリを投げられました)。
渋滞などで止まると、子供達が車をふいて、チップを要求してきます、それと、煙草、ガム、日用品などを(首からぶら下げて)売りに来ます。
ちょっと寂しい気持ちと、頑張って生きている、という気持ちが交さして複雑な気持ちでした。
それでも、気持ちの良い光景が最後にありました。
物乞いをしている、山岳民族の服を着たおばあさんに街を歩いている人達が笑顔で何か話しながら、お金をあげています。
(たぶん頑張って生きてね)と言って渡しているのだと思います。
皆、苦しいながら、自分達よりもっと苦しい人がいるのだから! 助けあって生きる ということが、この国には根底にあるのだと。
気づかされ、ホノボノした気分になりました。
(ちなみに私達も寄付しました)。
この国は、フジモリ大統領になってから、急激に発展を遂げています。
治安も良くなりつつあり、経済状況も上昇しています。
(現在は別の大統領)
これから楽しみな国になることでしょう。
特にペルーは「古代遺跡の宝庫」とも言われ、観光客も日本からは年間、一万人位だそうですが、
ナスカの地上絵、クスコ、マチュピチュ、プーノ、ティティカカ湖、チャビン・デ・ワンタル、チャンチャン、アレキパ、イキトス、 パチャカマク、パラカス、とナスカ文明、シカン・シパン文明、インカ帝国由来の都市
などが多くあり日本から行く人がどんどん増えるように思います。
行く前には、すこし、スペイン語もおぼえて行けば楽しい旅になるでしょう。
(中南米はブラジルを除いて殆ど全ての国がスペイン語です)
今回、ペルーにて大変お世話になった、Aさん、Bさん、本当に有難う御座いました。
そして同行して下さり写真撮影や、事務記録など、大変な仕事もこなして下さった、Oさん。
本当に有難う御座いました。
今回、こうしてアマゾンに来れましたのも、 「たくさんの人達の助けや励ましが有ればこそ」 と思っています。
私と共に悩み、苦しみ、支えになり、励まし続けてくれた妻にも心から感謝しています。
妻の努力が無ければ今の私は在りませんでした。
皆様の励ましと協力が、言葉では表せないほどの生きる意欲を与えてくれました。
現在、ガンや難病で苦しんでおられる方々、絶対に治ると信じて頑張って下さい。
必ずガンや難病がこの地球上から無くなる日が来ます。
それまで共に頑張りましょう。
あとがき
私はこの体験を通し、ガン患者さんにとって本来の治療とは何なのか、そしてガンを告げられた時の心の動揺に対し、その後どのように生きれば良いのかを身を持って考えた時に、自分自身の答えが見つかりました。
それは「目標を持ち、希望があってこそ生きてゆけるということでした」。
私の出会ったM先生(医師・助教授)は「医師は治療法のアドバイザーであり、治療法を選ぶのはあくまで患者さん本人です。
そして自分が良いと思うことは何でもやりなさい」という考えを持っておられ、この言葉で、臨床試験か抗がん剤治療かで迷っていた私は、M先生の治療法に命を預けようと思いました。
命は一つしかなく、自分の生き方は「自分自身が決めるものではないでしょうか」。
体験記を通して、ガンや難病に苦しまれている患者さんやご家族の人達の励ましになれればこれに尽きる喜びはありません。
平山 正樹