3月 19th, 2013
闘病日記NO.9
リマはほとんど雨が降らないので空気は乾燥し、上空からは砂で街全体が赤茶色に見えます。
海岸沿いを走ると砂漠地帯、土のがけの上に家が立ち、地震でも来たら大変なことになると思った。
リマでは、タクシーにもよく乗ったが、どの車も年式が古く、私達が乗ったタクシーは全てフロントガラスがひび割れし、クラッチは滑り、デコボコ、紙でタクシーと書いて貼ってあるだけ、なかには取っ手などが外れ中から閉められない車もありました。
(ちなみに、Oさんドアを閉めるとき、取っ手が外れびっくりしていた)。
運転手さん、Oさんに向かってノープロブレム(問題無い)。
Bさんも、助手席のドアを閉めようとしたが、 ドアが下がって閉まらない、運転手さん、Bさんに向かって、持ち上げながら閉めてくれ。
(ヨイショ、やっと閉まった)。
信号なども少なく、交差点などは先に行ったもん勝ちという感じです。
(時には、ジャリを投げられました)。
渋滞などで止まると、子供達が車をふいて、チップを要求してきます、それと、煙草、ガム、日用品などを(首からぶら下げて)売りに来ます。
ちょっと寂しい気持ちと、頑張って生きている、という気持ちが交さして複雑な気持ちでした。
それでも、気持ちの良い光景が最後にありました。
物乞いをしている、山岳民族の服を着たおばあさんに街を歩いている人達が笑顔で何か話しながら、お金をあげています。
(たぶん頑張って生きてね)と言って渡しているのだと思います。
皆、苦しいながら、自分達よりもっと苦しい人がいるのだから! 助けあって生きる ということが、この国には根底にあるのだと。
気づかされ、ホノボノした気分になりました。
(ちなみに私達も寄付しました)。
この国は、フジモリ大統領になってから、急激に発展を遂げています。
治安も良くなりつつあり、経済状況も上昇しています。
(現在は別の大統領)
これから楽しみな国になることでしょう。
特にペルーは「古代遺跡の宝庫」とも言われ、観光客も日本からは年間、一万人位だそうですが、
ナスカの地上絵、クスコ、マチュピチュ、プーノ、ティティカカ湖、チャビン・デ・ワンタル、チャンチャン、アレキパ、イキトス、 パチャカマク、パラカス、とナスカ文明、シカン・シパン文明、インカ帝国由来の都市
などが多くあり日本から行く人がどんどん増えるように思います。
行く前には、すこし、スペイン語もおぼえて行けば楽しい旅になるでしょう。
(中南米はブラジルを除いて殆ど全ての国がスペイン語です)
今回、ペルーにて大変お世話になった、Aさん、Bさん、本当に有難う御座いました。
そして同行して下さり写真撮影や、事務記録など、大変な仕事もこなして下さった、Oさん。
本当に有難う御座いました。
今回、こうしてアマゾンに来れましたのも、 「たくさんの人達の助けや励ましが有ればこそ」 と思っています。
私と共に悩み、苦しみ、支えになり、励まし続けてくれた妻にも心から感謝しています。
妻の努力が無ければ今の私は在りませんでした。
皆様の励ましと協力が、言葉では表せないほどの生きる意欲を与えてくれました。
現在、ガンや難病で苦しんでおられる方々、絶対に治ると信じて頑張って下さい。
必ずガンや難病がこの地球上から無くなる日が来ます。
それまで共に頑張りましょう。
あとがき
私はこの体験を通し、ガン患者さんにとって本来の治療とは何なのか、そしてガンを告げられた時の心の動揺に対し、その後どのように生きれば良いのかを身を持って考えた時に、自分自身の答えが見つかりました。
それは「目標を持ち、希望があってこそ生きてゆけるということでした」。
私の出会ったM先生(医師・助教授)は「医師は治療法のアドバイザーであり、治療法を選ぶのはあくまで患者さん本人です。
そして自分が良いと思うことは何でもやりなさい」という考えを持っておられ、この言葉で、臨床試験か抗がん剤治療かで迷っていた私は、M先生の治療法に命を預けようと思いました。
命は一つしかなく、自分の生き方は「自分自身が決めるものではないでしょうか」。
体験記を通して、ガンや難病に苦しまれている患者さんやご家族の人達の励ましになれればこれに尽きる喜びはありません。
平山 正樹
闘病日記NO.8
次の日、市内をブラブラ、いろんな店を見学。
薬草を売っている店や、土産物店、Tシャツ店、靴店、まず靴店に 入りサンダルを買おうと思い色々見て値段を聞いたところ、日本では200円~300円で売っていそうなゴムゾウリが25ソーレス(約875円)こちらでは1日分の日給くらい高いのです。
食べ物や衣服などはかなり安いのに と思いながらも熱いので買いました。 (ボラれたかも?)。
食事はマクドナルドのような店に入り、ホットドッグのようなパンに肉らしいものが はいっている、ハンバーガーらしき物のセットを注文、飲み物はコカコーラ。
店は窓などが全然なく車やモトタクシーの排気ガスや騒音であまり食欲がない。
それに3人で食事をしている間も、物売りの 子供や大人が私達外国人の姿を見たらすぐ近寄ってきて買ってくれといってくる。
そのたびにNO,NO,(いらない)といっても外から私達を見ている。
そのうち店員の女性が私達のテーブルに来て食べ残しのパンを指差し、 もういらないか聞いて来た。シー(はい)。
その女性は笑顔でパンを取り物売りの子供に持って行きました。
子供ははじけんばかりの笑顔でパンを貰いグラシアス、といって走って行きました、あの子供の嬉しそうな顔、 (今も忘れる事ができません)。
その時、自分の贅沢さを痛感しましたし、この国も早くあのような子供達がいなくなってほしい、と3人共つくづく思いました。
(日本では考えられない光景でした)。
飛行機の時間も近いのでそろそろ空港へ、 空港では偶然、イアップの所長に 出会い昨日の御礼を述べ、少し立ち話。
イキトス空港
アディオス(さよなら) 所長。
アディオス(さよなら) イキトス。
リマへ向かって飛行機に乗る。
リマ着、また呼び込みの人達がいっぱい寄ってくる、このころではもうこちらも慣れっこになって、NO,NO。
しかし、今日はAさんの車がないので、呼び込みの人と値段の交渉、リマ市内まで15ソーレス、交渉成立。
と思いきや、車に乗る寸前に運転手が25ソーレスに値上げ、こちらも頭にきてNO、もういい乗らない。
他のタクシーと交渉、15ソーレスOK、(タクシーは日本の軽四のアルト)少し狭いが辛抱しよう。
ドアがうまくしまらない、窓も途中で開かない、フロントガラスもひび割れ、車はデコボコ。(気にせずに行こう)
ホテルにて明日の打ち合わせ、その後、Aさん帰る、今日はOさんと2人だけで表で食事をしなければならなく なった、2人で大丈夫かなあ……・。
2人でスーパーへ、なにがあるのかなあ…・・?。
生野菜はダメと聞いているので他は……。
パン(1ソーレス)サンドイッチ(4ソーレス)私はあまり食欲も無いし、バナナとコカコーラにしよう。
Oさん(この人、とても元気、その上こちらの食事バッチリ)
トウモロコシ、イモ、この人これ主食。
ほんまに 日本人か。(ふと思った)。
そうだミネラルウォーターも買っておこう。
ホテルで食べる。
ミネラルウォーターなにか変な味、泡がでている、何だこれは腐っているのかあ…・。
ラベルを見る、なんとガス入りウォーター。
これがこちらで一般的なミネラルウォーターだそうだ。
マズイー。早く寝よ。
12月8日、「Aさん来る」も、予定変更、(相手の会社の人が急用のため)リマ市内見物。
こちらでは有名なインカコーラも飲む、コーラと言っても日本でのコーラ味と違い黄色の色で甘い炭酸ジュースの味。
リマ市内 リマ市内
アルマス広場、サンマルティン広場、大統領府、など、戦車もある。
警官が街角、街角にいる。
このおかげで最近はこのあたりは安全な地域になったそうだ。
日本大使館占領事件の場所に行く。
塀はところどころ銃の穴が空いている。
そこを通りぬけ、新しく建てている、日本大使館を見に行く、すごい塀だ!
まるで刑務所の塀、(これでわかっ てもらえると思う)
今度はそう簡単に入れそうもない。
かなりの金額を使って建てているようだ。
これもこの国では 仕方ないことだと思う。
帰りに土産物店による、Oさんおおはしゃぎ
(アマゾン大好き、シャーマン会いたい、 ナスカの地上絵、マチュピチュ、クスコ、インカ帝国万歳の人)
仕事も忘れ熱心に土産物店を回っていました。
12月9日、日本からBさん合流、 キャッツクロウの輸出許可証を持っている原材料メーカー2社を回る製薬メーカー工場見学と説明を受ける。
12月10日 原料抽出メーカー工場見学と説明を受ける。
製薬メーカーを見学。 (友好的で熱心な説明を受ける)
闘病日記NO.7
夕方、早めの食事をとり、次ぎの目的の 「アマゾンの薬草と西洋医学でガン治療」をしている、先生に会いに行く。
モトタクシーに乗り、診療所を探す。 運転手もわからないのか、歩いて探してくれた、少ししてその運転手がもどっ て来た。
わかったようだ。少し歩いて到着。
受け付けで用件を伝えてもらい、中へ案内される。
白人の身体の大きな先生が待っていた。
名前はロベルト・インチャウステギ先生、挨拶のあとお土産を手渡し、さっそく質問を開始。
*(私) 日本からアマゾンのガンに効く薬草を探しに来ました。
何か良い薬草はありますか、教えて下さい。
☆ 先生 5分くらい、通訳のAさんに対し怒っているようだ。
(何か変な雰囲気)。
話しによると私は10年かかって 今の薬草の配合を研究してきたのに日本からいきなり来て教えて欲しいとは虫が良すぎるではないか、アメリカ の研究者達は情報を教えた変わりに機械を提供してくれた。と言っているらしい。
* (私) 先生の配合を聞きに来ているのではない。
イアップの話しでは現在可能性のある植物が数十種類もあるので 研究しきれない、でこの中からで良いので何種類かに、しぼってもらえないか?。
「メモを見せるが取り合わない」。
仕方なく、ナスカのカタログを見せ、私もガン患者で、今は状態も良い。
しかし、「日本にはまだガン患者さんがたくさんいる」、病院で治療をされたが全員が治るわけではない。
西洋医学にアマゾンの薬草を加えれば治る患者さんもたくさん出てくると信じて、ここへ来た。
協力をお願いしたい。
☆ 先生 なおも取り合わないで、インターロイキン2や他の治療法で話題を変えようとする。
* (私) インターロイキン2はもう古い、3年前にインターロイキン12の臨床試験が日本で行われたが効果が無い。
そんな話しはどうでも良い、私 詰め寄る。
私達はいまキャッツクロウ、タベブイア、ルイボス、の配合で作っている。
☆ 先生 それは良い配合だ。
* (私) もう何種類か実験して、良い植物を見つけたい。
(まだ少し重い雰囲気)
空気を変える為、K大学のM先生 の質問事項を伝えてもらう。
質問 1.免疫を介して抗腫瘍作用をしめすものと直接抗腫瘍作用をしめすものの違いはなにか?
☆ 先生 キャッツクロウで言うと二つの効果があり、ガンに対して直接細胞死させるが、それより免疫を介してガン細胞を攻撃する効果の方が高い。
質問 2 抗腫瘍作用を有するものを止めた時にリバウンド現象がでるか?
☆ 先生 リバウンド現象は無い。
質問 3 抗腫瘍作用の結果すべてがアポトーシスで死滅するのか?
☆ 先生 アポトーシスはキャッツクロウではないが他の植物の研究では有るかもしれない。
(現在はM医学博士の研究でアポトーシスをしていることが証明される!)
質問 4 お茶は沸騰させて作っているが、それで抗腫瘍作用が失われないか?
☆ 先生 お茶は沸騰させても効果は失われない。
一番効果を発揮するのは配合であり、私は10年間それを研究し今の配合を完成させた。
* (私)、すかさず聞く。そのパーセンテージは?
☆ 先生 80%だ。
* (私)、どのガンに対してですか?
☆ 先生 ほとんどのガンに効く。
私の配合率は言えないが、君達の配合も良く似ている。
* (私) すこし和んできたので先ほどの数十種類のメモを見せる。
先生、それを見て丸を付けてくれた
☆ 先生、君達が実験するのか。
*(私) 、違います。
日本のK大学のM先生にお願いします。
☆ 先生、君はメールアドレスを持っているのか。
*(私)持っているが、スペイン語が出来ないのでAさんを通じて送っ てください。
☆ 先生、わかった。始めて、笑う。
握手と写真を取り、会見終了。
(何とか私の判定勝ちか)フゥー………・。
イキトス市内まで戻りレストランで軽いものと、キャッツクロウのブランデー で一杯やりました。
(少し目的に近づいた気持ちもあり・・・)
闘病日記NO.6
先生はプレゼントを置きに事務所に入ったので、 私達がジャングルの植物園に行く為に出口へ向かったその時、 後ろからエルサ先生の声が聞こえた。
所長が会ってくれるとのこと。
さっそく事務所の奥へ案内してもらう。
椅子に座っている(白人系の女性)が所長だそうだ。
「ムチョ グスト(はじめまして)」と挨拶した僕に、笑顔で応えてくれた。
名前はヨランダ・グスマン。
椅子に座り、私達が来た用件を伝えてもらう。 所長 OK。
質問開始、所長との会見。
1 ガンやエイズ、難病などに効果のある植物はありますか。
(所長)今現在の聞き取り調査ではおよそ数十種類、エルサ先生が植物名・効能をまとめているので、後日メールで送りましょう。
2 どこかの研究者がこちらに来ましたか。
(所長)今年に入り、アメリカの研究者達が、ガン・エイズに効果のある植物の情報を聞きにきました。
中国の研究チーム6人も同様に来ました。
中国チームの話しでは、中国に自生しているあらゆる植物を研究したが、 わが国にはガンやエイズに効果のある植物が無かったのでアマゾンにやって来た、ということでした。
3 日本からは誰か来ましたか。
(所長)1994年か1995年に1人来たようですが、私が所長になってからは誰も来ていません。
あなた達が始めてです。マスコミの取材などもありません。
(私)よく日本のテレビでイキトスのジャングルを写した番組をやっていますが?
(所長)民間の人がやっている小さな管理地を取材したんではないでしょうか。
こちらには一度も来ていません。
(日本のマスコミはなにをやっているのかなあ……)
4 アマゾン調査研究所の役割は。
(所長)アマゾン植物の薬効の研究です。
ジャングルに住んでいる原住民からの聞き取り調査や、アマゾン奥地から持ち帰った植物を、 イアップ(ペルー国立アマゾン調査研究所の略)の管理地にて栽培研究、植物の再生方法の研究をしたり、 世界で行われているアマゾンの薬草を用いた臨床試験等の情報の収集、及び発信もしている。
アマゾンの植物はおよそ6万~9万種類あるが、まだほんの一部しか研究出来ておらず、西洋医学的な科学研究もできない。
しかし、もうすぐコンピューターが導入されるので閲覧もできるようになるでしょう。
5 少し雑談の後、所長がアマゾン植物の図鑑や資料一式を私に下さった。
6 所長と一緒に記念写真。ありがとうございました。(グラシアス)
7 施設内を見学。ありがとうございました。
エルサ先生、Aさん、Oさん、そして私の4人は、イアップの入口でモトタクシーに乗り、イキトス市内で昼食をとる。
私とOさんは何を食べて良いのかわからないのでおまかせすると、少しして料理が並べられた。
何か変だが肉のようだ。
あまりにグロテスクなため、何の肉かと聞くと、羊とのこと。
エルサ先生が美味しいから食べろと言うので食べてみるが、あまり日本人の口にはアワナイと思った。
ライスも出てきたので食べてみるが、とても固い。
私は歯を治療中のため折れるのではと思いながらも、 空腹のためごはんだけは全部食べた 。
Oさんはベジタリアンなので、肉以外は本当に美味しそうに食べていた。
それから、車をチャーターしてイアップの管理地のジャングルへ向かう。
30キロ走り到着後、ジャングルの道を進みながら、自生している植物の説明を受ける。
背の高い樹が多く、昼だというのに周りは薄暗い。
今までに見たこともない植物ばかりだが、この中に必ず、人類を助けてくれる植物があるはずだ。
その時、エルサ先生が私達を呼んだ。
いままで写真でしか見たことが無かった、キャッツクロウだ。
自生している本物をいま目の前にしている。
「本当にアマゾンに来たんだなあ………」。
(最近、テレビでもキャッツクロウのことが放映されるようになり、日本の人達にも名前が広がりつつあると思う。)
英語名 キャッツクロウ(猫の爪)
現地名 ウニャ・デ・ガト
この植物は蔓の部分に猫の爪のような 刺があるので、そう名付けられたという。
1本なっていると周囲の栄養分をたくさん吸収するので、1ヘクタールに1~2本しか自生しないといわれています。
このため、原始林の中でキャッツクロウを捜すのは、原住民にとっても簡単なことではないのです。
なぜペルーの地域のみに自生するかは、土壌や雨量、高度、空気などの環境の特殊性がもたらしたためと思われる。
特に、アンデス山脈の東側を下り、アマゾンの密林に至る地域は「ハーブの密集地」であり、 原住民の祖先が遠い昔から「身体や魂」を癒すために使用してきた沢山の植物の中でもキャッツクロウは、 「身体に最高に良い、薬用植物の」一つです。
原住民はキャッツクロウを煮立った湯で煎じ、お茶をのむようにして服用し、さまざまな病気を治す薬として用いてきました。
その病気というのは、腫瘍、潰瘍、肝炎、胃腸病、リウマチ、糖尿病、喘息、生理不順、淋病、前立腺、などで、 具合が悪くなれば、ほとんどの病気を、このお茶を飲んで治療してきました。
その効果は、非常に早く現れ、宝の樹とよばれています。
(エルサ先生談) 特に、近代医療最先端の地であるアメリカに、そのほとんどを輸出しているため、私達(イアップ)がキャッツクロウの 再生法の研究をし、植林に力を入れているのです。 (エルサ先生談)
その後も、他の植物の説明を聞いていると、突然、大粒の雨が降ってきました。どしゃ降り、スコールだ。
皆で樹の影に隠れましたが、気休めにもなりません。
エルサ先生が、もうすぐワラブキ屋根の小屋があるので、 そこまで走りましょう。
というので、ずぶ濡れになりながら走りました。
前が明るくなってきた。 高い樹がなくなり、開けた平地が見える。
これが植物園だ。(やっと到着、一息つきました)。
そこにはいろんな植物が植えてあり、2人の現地の人が作業していた。
エルサ先生が2人となにか話した後、 その人達と合流し、植物の名前と効能などを順番に説明してくれた。
チュチュワシ、サングレ・デ・グラード、 サルサパリージャ、コパイーパ、ガラナ、スマ、スクーバ、アチオテ、アブータ、ジャトバ、ペドラウメカアア、 ムタンバ、ムリャカ、アブータ、アルカチョフラ、チャンカピエドラ、パッションフラワー、その他たくさんの 植物です。
(私)がエルサ先生に尋ねました。
先生、「日本人とアンデス人・アマゾン原住民は同じ祖先のDNAを持つ」と 日本の新聞にでていたので、「原住民に効果のある薬草は、他の人種より、むしろ日本人に最も良く効くのでは ないでしょうか?」
(エルサ先生)「それは、大いに有ると、私も思います」。
原住民の顔なども日本人にちかいです。
その後、いろいろ説明を受けたあと、暗くなる前にジャングルをでる。
闘病日記NO.5
しかし、ここはペルー。
日本大使館占領事件があったところですよ。気を緩めないように!
Aさんが車で迎えに来て15分位走っただろうか、3階建てのマンションの前で止まると、横から何やらあやしい奴(Tシャツ、短パン姿)が 近づいて来て、車の中を覗き込んだ。なんやこいつは。
Aさんが窓を開けて話している。
どうもガードマンらしが、制服を着ていないのであやしい奴にしか見えない。
この前、Aさんのマンションの外部鉄格子を乗り越えて強盗が入ったので、近所の5軒でガードマンを雇ったとのこと。
案内されて2Fへ上がると、奥さんが笑顔で迎えてくれた。
「ブエナス タルデス(こんばんは)」私はおぼえたてのスペイン語で挨拶した。
ペルー人の奥さんは日本語で「こんばんは」日本語を勉強中らしい。
綺麗な奥さんで、Aさんがペルーに住み着いた訳が少し分かったような気がした。
少しの雑談の後、ペルーの家庭料理(セビッチェなど)がテーブルに出され、Oさんと食べて見ると、おいしい。
味付けなどは日本人の口に合う。
ワインを飲みながらペルーの話しを聞いた。
ペルーの国土は日本の3.4倍あるが、産業といえばアンデスの山々からとれる鉱物類が主で、その他輸出できる物は殆ど無かったが、フジモリ大統領になってから、ペルー・アマゾン(日本の国土の1.4倍)地帯の薬用植物の研究と輸出に力を入れているようです。
ペルーは、日本では考えられない程貧富の差が激しく、国家公務員の1ヶ月の給料は約25,000円、建築労働者で月10,000円、 住み込みのメードさんで10,000円位とのことでした。
少し酔いがまわってきた。
私、Oさん、Aさん一家で記念撮影をし、午後10時30分頃、ホテルに帰る。
12月6日 朝5時 空港へ
朝6時30分 飛行機で リマ~イキトスへ(アマゾン) 朝8時着、約1100キロの距離でした。
飛行機の中からアマゾン川が見えてきた。
日本の面積の19倍という流域面積、 このアマゾンに、秘められた薬草が何万種類 とあるかと思うとすごく胸が高ぶる。
飛行機を降りるとすごい熱気、暑い。
リマとは全く違い、本当にジャングルに来たという感じだ。
周りの景色もジャングルそのもの。
ここも出口に客引きがいっぱいいる。
Aさんがカウンターでホテルの値段や場所を聞いている。
話しの結果ホテルの車が迎えに来てくれるそうだ。 30分後、迎えにきた車に乗りこもうとすると、大勢の客引きが寄って来て、私達のバッグを持とうとする。
また、NO、NO、NO,……。
車中は暑く、クーラーは付いていない。 空港の料金所で一時停止すると、また変な人達が寄ってきたが、運転手から無視するように言われた。
イキトスの市内へ近づくにつれ、少しづつ街並みが見えてきた。
リマとは違い鉄格子や高い塀などはなく、人もけっこう多い。
オートバイの後ろにリヤカーのような物を付けたタクシーがたくさん走っている。
こちらではモトタクシーと呼ぶそうだ。
20分位でホテルに到着。ここもホテルとはいっても、ただ寝るだけに使うものだ。
急いでシャワーを浴びて着替える。
そして、ペルー国立アマゾン調査研究所へ 。
事務所の入口で検問を受けて中に入ると、長靴に派手な柄のズボン、Tシャツ姿のおばさんがこちらを見て笑っている。
だれこのおばさん、と思っていたら、Aさんが親しく挨拶している。
もしかしてこの人が聞いていた植物学の先生か?
・・・・当たり。エルサ先生だ。
まずプレゼントを渡した。
(浮世絵のハンカチ、いろ紙、こちらでは喜ばれる)
Aさんが、私とOさんを紹介し、今回アマゾンへ来た用件を伝えてくれた。
ナスカのカタログを見せ、通訳してもらいながら話しをしていると、先生がカタログに載っている私の写真を見て笑った。
病気の時とは全く違い、今はとても良い表情をしている。
「ガンに勝つ為には精神が非常に大事だ」と。
K大学のM先生の実験結果の説明とともに、キャッツクロウはガンや免疫低下抑制、糖尿病、胃腸病、リウマチ、 などに非常に有効な植物だと話すと、先生も笑顔でうなずく。
そして、アマゾンには、ガンやエイズ、難病に効く植物が、まだ沢山あると思うが、他に有効と思われる植物がないかと質問すると、先生はカバンからノートを取り出して私達に見せた。
そこには、先住民からの聞き取り調査で、 およそ数十種類、可能性が高いと思わ れる植物の名前が書いてあり、解りやすく まとめてから資料をくれると言ってくれた。
その後、先生が、所長に紹介するとの事で 事務所に入り、2分~3分で戻ってきたが、所長は会議中で会えないそうだ。
残念だがしょうがない。
OK。私はリュックからプレゼントを取り出し、これを所長に渡しておいて下さいとエルサ先生に手渡した。
闘病日記NO.4
1999年11月27日、黄熱病の予防注射をうつ。
マラリアとコレラは予防注射の必要はないとのこと。
1999年12月4日 朝8時40分 アマゾンへ向け家を出発。
成田空港で、新潟のOさん(胃がん、手術後2年10ヶ月)と合流。
Oさんは8ヶ月英会話を習っているので一安心。
12月 4日 夕刻18時55分 成田発→アメリカポートランド。
いざ成田を出発、機内はほぼ満席だ。約8時間の旅、廻りを見ると外人が多いが日本人もたくさんいる。
エコノミーの座席は狭く1時間位しか同じ態勢でいられない、身体の大きな外人はとくにきつそうだ。
ウトウトしながら時計を見るが時間が全然進まない。
やっとポートランドについた時は頭がボーっとして食欲もない。
入国の審査カードに記入しなければならないが意味がわからない。
Oさんに聞くが本人もわからないそうで、廻りの日本人に聞いてなんとか半分は書き、審査を受けるが、英語で何か言われた。
記入漏れがあるので後ろにもどりなさい、と言っているようだ。
またまた日本人に聞いて 何とか書き終える。
また並ぶ。 審査、なんとかOK。OさんもOK。
まだ最初の入国なのに、なぜかもうくたくた。
(長時間座ったままの姿勢と時差、言葉など)
乗り換えの待ち時間は約2時間。 日本時間では真夜中だが、こちらは昼前くらいで、眠いが寝れない。
もう時差 ぼけみたい。時計の針を戻す。
アメリカポートランド
12月4日 12:55PM発→
アメリカアトランタへ
機内はほとんど外人ばかりで、ほぼ満席。
(失礼、ここでは自分が外人やなぁー)
飛行時間約4時間30分。
アトランタ着、今度は時計の針を3時間進める。
4時間30分ほど乗って、時計では8時間乗ったことになる。
時差ぼけのうえに、時計を戻したり進めたりで、頭がへんになりそう。
乗り換えの待ち時間の間、2人で空港内を歩い て見る。
いろいろな店がある。ハンバーガーの店、ホットドッグの店、革製品の店、Tシャツを売っている店、特に食べ物の大きさは日本の2倍以上ある。
サンドイッチの店で写真を指差して注文する。
コーラも日本のLサイズ がアメリカのSサイズのようだ。
1人前を2人で分けて食べたがお腹いっぱいになった。
どこを歩いても、もう日本人の姿はない。
本当に外国に来たんだなあ……と思った。
今まで海外旅行には5回行っているが、必ず日本人がいた。
しかし今回はどこをみてもいない。
ツアーとは精神的に全然ちがう。
リマ行きの待合所ではラテン系の人達が、多くのみやげ物を持って並んでいた。
いよいよペルーリマへ出発、あと 何時間乗るのかなあ………。
飛行機に乗りこむ。
ほぼ満席状態だったが、ありがたい事に私の隣2席は人がいない ようだ。
シートベルト着用のランプが消えたので、少しでも寝ようと思い、肘掛を起こして横になる。
うとうと、何とか1時間は寝たようだ。
煙草が吸えないので禁煙パイポを吸う。
外は真っ暗。同じ事の繰り返し。
機内放送があり、まもなくの着陸を知らせる。
時計を見る。 12月5日 5:00AM、飛行時間は6時間40分。
「リマに無事到着。」
荷物を取って出口に向かうと、そこはBさんから聞いていた通り客引きの人達がいっぱい。
鉄柵から外へ出ないように言われていたので、中からAさんを探すが暗くて良く見えない。
歩きながら探していると、客引きがいっぱい 寄ってくる。
NO,NO,……。
その時、Oさんが「平山様」と書いたボードを見つけ、ようやくAさんの笑顔を見たとたんにほっとした。
本当に長い道のりだった……。
朝5時30分というのに空港の廻りは人々がいっぱいで異様な雰囲気だ。
Aさんの車に乗と、ロックをしたほうが良いと笑顔でいわれた。 窓も全開せずに。
Aさんも以前いろんな目に遭ったそうだ。
町並みを見ていてふと気がついた。どの家も、鉄格子かコンクリートの塀で囲まれている。
Aさんに聞いてみると、人が侵入出来ないようにするのが当たり前の国なのだそうだ。
20分位でホテルに着く。
ホテルといっても日本にあるようなものではないが、外観はまあまあ綺麗だ。
30ドルと聞いていたので中は汚いだろうと思っていたが案外綺麗、エアコンは無いが、扇風機、シャワー、テレビ、ベッド、一応のものはある。
無いものは、冷蔵庫とポットぐらいか。まあいいや。
お腹が空いていたのでAさんと2人で日本のカップラーメンを食べる。
Aさんがラーメンを食べるのは久しぶりだそうだ、うまい。
2時間~3時間これからの打ち合わせをし、その後少し寝た。
部屋の電話が鳴る。
Aさんからで、「妻が食事に招待したい」と言っているので午後7時30分に迎えにくるという用件だ。
Oさんを探すがいない。何処へ行ったんだろう……。
30分位して帰ってきた、ホテルの人と両替に行っていたらしい。
ここは日本と違うので、あまりうろうろしない方が良いと言ったが、 Oさんは学生時代にインドで(5ヶ月間を2回)バックパッカーをしていたらしく、外国でもあまり気にして いないようだ。
闘病日記NO.3
それはアマゾン薬用植物
学名ノウゼンカズラ科タベブイア属アベラネダエ種
タベブイア・アベラネダエ(別名、紫イペー、タヒボ)の樹皮でした。
自分にはこの組み合わせが一番合ったのだと思います。
この事があってから、アマゾンの植物に興味を持ち、いろんな文献や資料を集め調べるようになりました。
ある日、私の伯母さんから電話がありました。
飼っている猫(名前はミャー)がガンで死にかけている、ガンがお腹から露出し、まるでザクロ が割れたようになっている。
腹水と胸水で身体がパンパンに膨れ、排便もできず、餌も全然食べない、息も絶え絶えで横たわっている、病院へも連れて行ったが、先生にもこのまま死なせるしか方法はないと言われた、とのこと。
私はすぐ「タベブイア茶(紫イペー)」を煎じて持って行きました。
伯母さんはスポイトで少しづつ飲ませました。
そのあくる日、オシッコが出るようになり餌も少しながら食べるようになり、立って歩きだしたそうです。
伯母さんから電話があり、あのお茶は何処で売っているのか教えて欲しいということなので薬局の名前と電話番号 を教えました。
その後、他の患者さん達に情報を送っていたところ、
何人もの方から腫瘍が消えた、小さくなった、C型肝炎の数値 が下がった、血糖値が下がったと、
御礼の電話が入るようになりました。
私自身も何かのお役に立てたと満足感がありました。
それから皆さんの意見などを聞いてどの健康食品が効果があるか、まとめる作業に取り掛かりました。
ほとんどの方が何らかの健康食品を飲んでおられ、その効果の順位を付けたところ、やはりアマゾンのお茶が一番となりました。
皆さんの意見はほぼ一致しており、お茶に関しては非常に信頼性があるのですが、ただ値段が非常に高いので、続けて 飲んで行けるか心配だという意見が続出しました。
私も同感、なぜこんなに高いんだろう?
(1箱150g入り2万円、これを私達ガン患者は1ヶ月に6箱を飲んでいました)
と前々から思っていました。
しかし価格に関しては我々の立ち入れる問題ではありません。
もっと安くなって欲しい、これが患者さん達の一致した意見でした。
そんな時、東京にいる友人が久しぶりに大阪に来て私の家に立ち寄ってくれました。
ガン談議に花が咲き、東京に帰ってからブラジル大使館に掛け合ってくれました。
それから1ヶ月後、色々な情報が入ってくるようになりました。
大使館の人達の話しではブラジルでは庶民の人達 が飲むものでごく普通のお茶と変わりないとの事です。
輸入に関しての輸送料、関税、人件費、などを差し引いても
「日本で売られている価格は異常に高い」
というのが 大使館の人達の感想でした。
友人が、それならうちの会社で輸入するか、と言ってくれ。
輸入はするが、販売などは自分の会社では出来ないので、後はお前が考えてくれと、話しを預けられてしまい、 私も困り果てました。
私はアルミ建材業なのでそちらの方も忙しく販売などは出来ないのが現状です。
他の患者さんたちとも相談しましたが、誰も引き受ける人はありませんでした。
(ボランティアの時と違い、販売となると批判を受けることも有り・・・。)
その時、私の心のお母さんである千葉県のKさんから助言があり、
平山ちゃん、今迄こつこつと情報を送ったり、相談に乗ったりして来たのに、ここ で手を引くと言うことは、患者さん達を見殺しにすることに等しい行為ですよ、とたしなめられました。
「平山ちゃんがやらなければ誰がやるの」
その言葉が頭から離れません。
なんで俺が健康食品の販売を……。
そんなん無理やで……。 このことが1日中、頭から離れません。
その時、妻の一言で決心がつきました。
「あんたは今、生きてる。神様があんたを生かしてくれているのは、こういうことをやりなさい、ということかもしれないよ」
これがアマゾン行きの始まりだったのかもしれません。
皆に連絡し、引き受けた以上はまっしぐらに突っ走るしかありません。
そのうちブラジルとペルーから原材料が届き、あとは製品にするのに友人の会社と私であっちこっち工場にお願いに行きました。
ロット数の問題や保健所の許可のことやら何やらで大変困難な道も何とか切り抜け、1999年4月末に「ナスカコーポレーション」としてやって行くことになり、数々のアマゾンハーブを発売することになりました。
そして、アマゾンには人間の身体に役立つ未知の薬用植物が必ずあると考えていた時、 NHKの番組の中で、医療では世界最先端の「アメリカ国立ガンセンター」の研究者の人達が言っていました。
「地球上の病気は地球上の物で、必ず治せる」ほとんどの植物は研究しつくしたが、アマゾンの植物はまだ1%しか 研究されていない、必ず「ガン・エイズ・難病」の特効薬がアマゾンにあると。
私もこの番組を見て「希望が確信」に変わりました。
アマゾンへ行きたい。
ブラジル・ポルトガル語、 ペルー・スペイン語、夢は膨らみました。
アマゾンを調べるうち、ある方と知り合い、話しはとんとん拍子に進み、アマゾンへ行く事になりました。
闘病日記NO.2
1997年1月1日 新年。(生きて、新年を迎える)
私は朝5時ごろロビーに出ました。
ロビーには誰もいません68人病棟のほとんどの患者が正月を家で過ごすことを許可されており、いつも6、7人いるロビーもこの時ばかりは私1人きりです。
孤独と絶望感の中、窓の景色をみながら、煙草を一服吸うごとにこぼれる涙を拭いていました。
朝になると、白血病の男の子のお母さんがおせち料理を持って来てくれました。
ありがとう……。
1月中旬のCT検査の結果腫瘍はまた少し小さくなっていました。
先生に、あと3クールは通院にて治療すると言われ、1月26日退院することになりました。
退院の日の朝、K先生が部屋に来られ経過説明をしてくれました。
(K先生) 平山さん、もう一日抗がん剤を打つのが遅れていたら危なかったですよ、腫瘍で血管が圧迫され、脳に血液が殆ど流れていなかった為、幻覚が見えていたんですよ。
今現在も腫瘍は残っていますが、頑張ってください。
この話しを聞いた時は本当にぞーっとしました。
そして先生や看護婦さん達にお礼を述べロビーに向かいました。
ロビーでは病棟の皆さんが花束を持って集まっていました。
(私) あれ、皆どうしたの? すると代表の方が来て、皆で少しづつお金を出し合って花を買ってきたので平山さん受けとって下さい、と言うことでした。
私は、毎日私に付き添い励まし続けてくれた妻に こそと思い、花束は妻にお願いしたいと頼みました。
皆も納得してくれ、ロビーは涙でいっぱいでした。
(皆さん、ありがとう・・・・。)
病院から表に出たときは、山や木々が本当に綺麗に見えました、花も今までは綺麗だと思って見たことがなかったのですが、このときからは感動して見れるようになりました。
(食欲出てくる、体重52キロ)
その後、家に帰り2月、3月、4月、外出許可は下りていませんでしたが、「次ぎに通院する時にはまた入院を告げられるかもしれない」、「いつ死ぬか分からない」、と思うと家でじっとしている事が出来ず、通院での抗がん剤治療を続けながらも、マスクを着けて色々な所にいろいろなもの物を見に行きました。

その間にも、私達に花束をくれた人達が次々に亡くなってゆき、何か良い治療が早くできないものかと考えずにはいられませんでした。(辛い・・・)
1997年4月 6クール目の抗がん剤治療後のCT検査の結果でも小さくなったものの、私の身体の中にはまだまだ 沢山の腫瘍がありましたが、しかしこれ以上の治療は無理と言われ、それからは自分に合う健康食品を探し、集め、 摂り続けることで、生への望みをつないでいました。
以後3ヶ月に1回のCTレントゲン。「腫瘍の大きさ変わらず。」
それから11ヶ月後の1998年3月13日に大変なことが起こりました。
CT検査の結果、私の身体にあった沢山の腫瘍が全て消えていたのです。
先生も驚きの表情。
私もCT写真をじっくり見る。
本当に腫瘍が消えてる・・・。(自分でも不思議)
血液検査の結果も長年わずらっていた、糖尿病による高い血糖値もほとんど正常値に戻っていました。
自分なりに色々と勉強し、いろいろな健康食品を摂り続けたのが良かったのか、はっきりとは分かりません。
しかし1つだけ言えることは、この検査前の11ヶ月間は病院での治療や投薬は一切受けていなかったと言うことです。
退院後、私のような者にでも何か出来るのではと考え、私の体験やガンについての情報等を送ってきました。
私は西洋医学を否定するのではなく、むしろ、それが「必ず良い治療」を見つけてくれると信じています。
それは、あの時、6クール(6ヶ月)の「抗がん剤治療(点滴)と健康食品を併飲し」、その相乗効果で腫瘍が半分以下まで縮小してくれ、その後に飲用したアマゾンの薬用植物が効果を発揮したのだと思っています。
その後、ガンを研究されている先生方に話しを聞いた結果、現在の西洋医学には限界があるようです。
私は「良い健康食品や東洋医学(漢方)」で、その補助の役目が出来るのではと考えています。
DNA配列の解析も2003年頃までにおわるでしょう。
その後臨床試験などにもう2~3年、2006年頃にはガンは死の病ではないかもしれません。
その時までガン患者どうしが、いろんな情報を持ちより延命すれば何とかなるかも知れません。
その一助になれれば、私のやっている事も無駄ではないと思います。
そうこうしている間にも、私の自宅にいろんな人から相談の電話が多く来るようになりました。
先生の紹介や東北の温泉で療養中に私の噂を聞いて電話をかけてくる人、知人の伝手で電話をかけてくる人などです。
車で行ける距離の人達には仕事が終わってから駆け付けました。
多くの人の質問は、平山さんは「何を飲んでいたのですか」に集中していました。
私自身、5種類の健康食品を飲んでいましたが、4種類については以前からずっと飲んでおり、その時のレントゲン検査ではガンが消えるということは無かったのです。
しかし最後の1種類を加えて飲んだ1ヶ月半後の検査(3月13日)でガン(腫瘍)がすべて消えていたのです。






























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